29歳と10ヶ月。あと2ヶ月で20代が終わる。
そんな2007年の暖冬。乳がんの告知を受けた。

今後どうなるのか、とても不安で仕方ない。
だから自分のため、これを読む誰かのために、私が日々思い
考えることを記録し、経験として綴っていきたい。

これからも穏やかに笑ってすごしたいから、少しずつでも前を向いて生きていきたい。


<< May 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

041/胸とカビ
胸にカビが生えた!!

大変だ。びっくり

といって、あの青くてモッサリしているようなものではない。



ある日、ちょっとだけ虫さされのように、うっすらと右胸に赤みがでた。
直径でいうと、ほんの2.3センチ。

そして、胸がなんとなくむずむず。。汗
びびった私は、とりあえずいつもの病院へムリヤリ予約を詰めてもらった。

そして超音波。
「きれいですよーなんの以上もないです。」という結果。


かゆい事を伝えると、皮膚科にいった方がいいかもといわれ、
その結果、カビの一種が胸についているということだった。

き、きもい。。悲しい


皮膚科の先生に、乳がんの治療をしたとい事を伝えると、
「あ〜〜だからですね。」
!? 

放射線やなんやで、胸の抵抗力、免疫力が下がっているため、
ばい菌が繁殖しやすかったんだろう。ということ。

放射線は、汗腺もつぶれるから、胸がやはり健康的ではないという。


そうだったのか。。しかし、カビなんて、水虫だけかと思ってたのに、
胸にもそんなカビが繁殖するなんて・・

しかも、これからの時期あめ湿度や汗の蒸れで、
もっとひどくならないように気をつけて。と。

い、いやだ。。

女子として、とても悲しくなった。
サイテーな気分になった。悲しい

あぁ、私の胸ちゃん。。頑張って。。
040/彼とモンチッチ
1年ぶりに美容室に行った。


情けなく伸びた髪の毛が、収集つかないようになってたから、
はずかしいけど、勇気を出して行ってきた。


ちょっとまだ早いのは分かってたけど
結果、ベリーショートウルフという髪型で、
赤ベースのカラーリングもしてもらった。


こんな短い毛、自分自身、なりたくてなった訳じゃ無いけどしょんぼり
美容師さんには、わりと好評だった。

でも、ちょっとアーティスティック・・びっくり
そして、モンチッチ・・



その夜、カツラを知らない先輩のところへ行って頭を披露したら、
「ずいぶん、思いきって切ったんだね・・」と
似合うとか、似合わないとか、何のコメントもないあせあせ

・・あれ。。やばい??びっくり

不安を感じた私は、ヘアメイクをしている友達に写メを送ってみた。


すると、あと2か月だねー。と返事..

やっぱり早まったかっっっ!私!!悲しい



でも、もう何か開き直って、突き進んでしまう事にした。





新しくできた彼氏に、披露したのだ。


病気の事は、その後なんとか伝えた。


色々考えて、感じてくれて、私以上に辛く悲しかったみたいだった。悲しい


私の前では、きちんと受け止めてくれてたけど、
その日は人目をはばからず、号泣しながら帰った事をあとから聞いた。


だけどその時、言ってしまえば良かったカツラの事を言えず、
それが自分の心の負担になってた。

軽く言ってしまえばいいのに。と友達は言うけど、
そこは乙女心なのか、私の性格なのか、
そんなに簡単なことじゃなく、私には言えなかったのだ。


でも、それすらもう嫌になって、
いきなりモンチッチな私で会った。

びっくりびっくりびっくり


彼は驚きまくり、なんでこんなに切ってしまったの??と
かなり驚いてたけど、また伸びるのを待つね。と笑ってた。



切ったんじゃなくて、伸びたんですよっ・・・と言いたかったけど、
言葉をグッとのみこんだ。



病気の事や、心の不安、胸の傷も、髪の毛も、
きちんと受け入れてくれた彼を、大切にしていかないとなぁと思った。

いろんな不安もあるけど、これからゆっくり楽しく生活して行きたいな。嬉しい
039/仕事と彼氏
桜も散ったここ最近。

嬉しい治療からも解放され、体力も回復してきた。

だんだん平日にじっとしてられなくなり、仕事を始めてみた。


というか、再開させたというのか、
以前からずっとやっている職種での、派遣業。

深夜から朝までは当たり前のような業界だけど、
そこまでもうやる気はない。


だから、時間を守ってくれる会社を選んだ。
多少の残業はしかたないけど。


楽しい久しぶりの通勤電車。また社会と接しはじめた実感が湧く。



生活にハリがでてきたそんなある日。

最近よく遊んでた男友達から、告白された。びっくり


・・・だけどしょんぼり

彼は病気のことを知らず、
私が今カツラをかぶっていることも知らない。


色々隠していることがあるから、
自信をもってつきあえないということを、きちんと伝えた。


でも彼は
「何を隠してるかしらないけど、俺はちょっとぐらいの事では
動じないから。2人でゆっくり乗り越えてけばいい。安心して。」


といった。


本心はそうであっても、真実を知ったときにどうなるか、
話をするまでは、憂鬱な毎日だ。



だけど、その日からその人は私の彼になった。



まだほんの数日、ちゃんと会って話せてないけど
今後、そんな風にいってくれる人と、出会えないかもしれない。



ラブそう思ったら、ありがたさと、出会えたことへの感謝で
また胸がいっぱいになった。


病気になって、人の縁をとても強く感じて
それを普通とは思わなくなっている自分がいて、


誰かを大切にしたいとか、大切にされてる、とか
そう感じれることが、今はとってもうれしい。



去年、一年間のがんばったからグッド
ここへ来て、たくさんの素敵なことがおきてる。


普通の事が、一番幸せな気がする。
038/快気祝いと保険
全治療が終わって、3週間。

約80万の医療費に驚いた びっくり 確定申告も無事終わり、

日々、春のあたたかさを感じ、自分の体が動くことに感謝する。


桜の開花予報が出た頃、母の計らいで、
3泊4日の旅行に行ってきた。


快気祝いってやつだ。嬉しい


久しぶりの遠出、そして飛行機。


小学生みたいに、数日前から眠りが浅くなり、
前日はほとんど眠れずに行ってきた。


おいしい物をたくさん食べラーメンおでんビール
たくさん歩き ジョギングいっぱい買い物をした。


この1年間の経験があったから、旅がさらに特別な感じがした。グッド


母に感謝。ありがとう。



旅から帰ったら、郵便が届いてた。


乳がん患者が入れる保険に入ろうと、審査をしてもらっていたのだ。


私は、まだ自分がそんな病気になろうとは、1ミリも思っていなかった。
普通の保険以外は入っていなかった。



この保険はステージによって、
術後1年で入れるか3年半からになるか決まる。


私は、2.0センチの腫瘍があった。
ちょうど境目の数値のため、先生の診断書がものを言う。


かなり気掛かりだったが、結果、審査は通った。

保証開始はまだ先の7月からになるみたいだ。


金額は、30歳の1年目は「月額12,770円」


びっくりこれは高い。悔やんでも仕方ないけど、やっぱり高い。。悲しい

こんな保険は使わないからいらない。と言えるほどの自信があればいい。

でもやっぱり今の自分の頭では、もしもの事を考えてしまう。


計算したら3年で約45万円。

でも、しかたない。安心料として支払っておくと思う事にする。



それはもう割り切って、次は社会復帰に向けて動くんだ。


まずは満開の桜を見て、仕事探して、あとは髪の毛がもう少しのびてくれれば・・

私はもっと笑って過ごせる楽しい
037/治療が終わった
全ての治療が終わった。。おひな様の日に終わった。。

  嬉しい 拍手


手術は去年の3月7日。今日は3月3日。

ほんとに丸1年かかった。


発見から告知までのあの日々が嘘のようだ。


実感もなく、リアルじゃないまま色んな事が動きだし
精神も不安定で、家族には八つ当たり
友達には泣きながら話すような日々。

なぜ自分だったのか、どうしてこんなに若くから
一生の不安を背負わされなきゃならないのか、


不安と恐怖と怒り、悲しみと絶望、良い事なんて一つもなかった去年の春。

大好きな桜さえ、憎たらしく見えた。



たくさん悲しい思いもしたし、
もう一生分の辛さを味わったような1年だった。

辛い副作用もがんばって乗り越えた、
遊びたい気持ちも、一生懸命おさえて治療を優先した。



もし神様がいるんなら、
今年は絶対にステキな1年じゃなきゃだめです。バッド



自分にはわりと厳しい私だけど、今回の治療に関しては本当によく頑張った。
褒めてあげるんだ。グッド


今後、再発や転移の不安は常に付きまとう。
ちょっとした痛みや、体の異変が、すぐにそれじゃないかと不安に陥る。

そんな風に生活してかなくちゃいけないけど、ベストは尽くした。


普通の事を、普通にできる今は、すごいんだって分かった。


周囲の人が、どれほど自分を思ってくれてるのか分かった。


そこに存在してるって事だけで、その人や自分を大切にしたいと思った。


生きていて、出会う事ができて、一緒に笑ったりできることは奇跡だ。



揺れるハート 大げさだけど、それくらい自分も周囲の人も
大切にしたいと思わされた。


今後は、この病気と一生付き合っていかなくちゃ行けない。


もしかしたら、3年後普通の生活をできてないかもしれないし、
もしかしたら、80歳までピンピンしてるかもしれない。


こればっかりは、本当にわからないし、怖いことでもあるけど、
今日という1日を大切に、笑って過ごす時間をたくさん作って
そうやって生活をして行きたいと思う。楽しい