29歳と10ヶ月。あと2ヶ月で20代が終わる。
そんな2007年の暖冬。乳がんの告知を受けた。

今後どうなるのか、とても不安で仕方ない。
だから自分のため、これを読む誰かのために、私が日々思い
考えることを記録し、経験として綴っていきたい。

これからも穏やかに笑ってすごしたいから、少しずつでも前を向いて生きていきたい。


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008/入院まで
手術をすると決まったら、あとはもう検査をこなすだけ病院

胸のレントゲン、腹部の超音波、
骨シンチ、MRIと、聞きなれない検査もした。

MRIは、手の甲に点滴の針を刺したまま、
数十分じっとしてなくちゃいけないのが、ちょっと嫌だったな。
途中、別世界へ行ったような気分だった。

検査を受け続けていく過程で、
転移を気にしなくちゃいけないのが、何より苦痛ともいえた。
結果、ほかへの転移は現状ナシ。。。ほっとした。

ただ、しこりだけではなく、
乳首に向け、乳管のなかを広がるがんの姿が映っていた。
これにより、少し広範囲での切除が決定した。
検査の途中、自分でわきの下にしこりも発見。ドキッとした冷や汗
転移かどうかは、リンパ節を調べないと分からないらしい。

この数日、お風呂に入り、
湯船にぷかぷか浮く胸を見ては、大声で泣いてみたり、
友達に会っては号泣したり、笑ったりはしゃいだり。
家族へは本当にひどい状態で、八つ当たりした。
それでも仕事へ行き、普通の生活がしたかった。

しょんぼり本当に不安定な2週間だった。

最終的に、初診からちょうど3週目の水曜日が、
私の手術日となった。
素早く対応してもらえたことは、本当に運がいいと思う。

入院の前日には、今までの日々がうそみたいに、
開き直り、もうちゃんと前を向こうと、そう思う自分が居た。

家族や友達や、職場の人や先生のおかげで、
そう思うことが出来たんだろうと思う。
やっぱり私ったら運がいい嬉しい





007/さらなる反応
うっかりすると、涙が込み上げてきてしまう。
告知からの数日間、私の涙腺はゆるゆるだった悲しい

父にも電話した。
うちは両親が離婚しているため、
別々の連絡となるのだ。


「どうした?何かあったのか?」と
さっそく父に言われた。

「うーん、気になる事があって病院に行ったら
悪性の腫瘍だったよ。場所は胸の下なんだけど・・」

そして手術をすること、
だけど数日間の入院で済む事を、手早く説明した。
あまり心配させたくなかった。

「それは乳がんか・・?」
あまりの力ない声に、私ははっきり乳がんと言えなかった。
「たぶん・・」と一言だけ言って、
それでも遠回しに乳がんということを伝えた。

父の切ない声が、衝撃を物語っていた。
それがいつまでも気にかかり、また涙が流れてきた。

電話を切ったあと、
今度は手術に向けての準備が始まった。

どうして涙が出るのかな。
きっと私自身が、まだ病気を受け止めていない。
だけど、事実だけは進むからだと思う。

受け止めきれない事実に押しつぶされて、
感情だけが不安定になっていく。

普段は、ものすごくポジティブなんだけど、
がんという一言の威力は大きい。どんっ
006/周囲の反応
しょんぼり電車が、やっと最寄り駅に着いた。

ほっとして降りた瞬間、同じ駅に住む上司の姿があった。
先ほど早退させてもらった手前、何となく声をかけた。

驚いた様子で、どしたの?とたずねられた。
「何か・・悪性の腫瘍があって、手術らしいです」
階段を下りながら、さらりとつぶやいた。
辛い顔を見せたくなかった。

「・・・え?・・それは・・まずいなぁ」

あっけなく改札が近づき、わかれた。
結果、一番先に結果を知らせたのは、上司ということになる。


駅の明かりから逃れた瞬間、涙が止まらなくなった。
周囲も気にせず、泣きながら歩いた。

そして母からの着信。。もしもし・・
「あのね・・がんだって言われたよ・・」
「・・・がんですって?・・ねぇ、その病院は大丈夫なの?」

信じたくない時、人はまず医者を疑うんだ。

耐え難い辛さで、夜道で泣きまくっている娘を
「大丈夫よ。今は医療も発達してるから、きっと大丈夫」
と、母は泣きながらも、気丈に励ました。


その後、友達にも電話し、事実を伝えた。
初めて、絶句というのを目の当たりにした。

友達は、一緒に泣いてくれた。
「私も付いてるから。ね、だからちゃんと治していこう」
そう言ってくれた。


電話を切った。
"今になって心配でたまらない。大丈夫なのか"
と、さっきわかれた上司からメールが入ってきた。


3人だけに伝えた夜だったけど、
私は、自分の置かれている状況に感謝した。
本当に、良い人に巡り会っていたんだと。
005/検査の結果
「・・うーん、何て言ったらいいかなぁあせあせ
最初の一言で、全て分かるような言い方だった。
「悪性だったんですよねぇ・・」

ア ク セ イ ?

私は何のリアリティもなく、演者のようにため息をついた。
全くもって、リアルじゃないし、重みのない一言だった。

だって悪性って事は、がんってことでしょ?


ちょっとした覚悟なんて、覚悟してないと同じだ。

先生は、何かいろいろ説明をしてくれたけど、
その内容は、ほとんど覚えてない。
ただ、いくつもある項目の中「悪性」にチェックが入っていた。

頭が思考するのをやめた。

その後、がんとは何か先生から説明があったけど、
耳になんて入らなかった。

帰りの電車は最悪だった 怒り
私は今さっきがんと言われたのに、何で君たちは普通なの?って。
今まで何も思わず、向こう側だった自分が
たった一言で、そんな精神状態になるなんて思ってもいなかった・・冷や汗

鼻の奥がツーンとして、目に涙がたまった。
下を向いて涙を拭くけど、鼻はまたツーンとした。

今朝まで、ぐいぐい読んでた本を広げてみたけど、
目は、何も読んでいない。その上、涙で読みにくい。

やり場のない気持ちで、泣き叫びたくなった。

最低だった。
004/追加の検査
初診後、
「胸にしこりがあって、病院に行ったんだ」と
母親と、そして1人の親友だけにお知らせしてみた。

針をさされてから、2日後、
今度は、レントゲンを撮るという。

そもそも、あの黒い影を見た日、
あれがすでにヤバい気がしてた。
あいつは何だろう?この私の胸にある黒いやつ。
どうして気が付かなかったんだろ?
毎日一緒の、自分の体なのに・・・

ただ、漠然とした不安だけが、ずっと頭にある。ショック


そして、レントゲンの日、
マンモグラフィーというらしい機械。
胸をぎゅんぎゅんにつぶし、はさみこむ。

自分の状況が明らかにおかしい。
途中、かなりにやけた。
そして、耐えきれず笑った。あははっ

その後すぐに、写真を見た。
「皮下脂肪が、ほとんど無いし、垂れにくい胸です」
と、少しだけ嬉しいことを言われた。
「これでみると、うーん・・良性かなぁ。。」
とさらに輪をかけて喜びの言葉がっ!!

まじっすか!?びっくり心が、ものすごい勢いで軽くなる。

その日のお昼休み、親友から電話があった。
心配してかけてきてくれた。心からありがたいと思う。
良性とは言われたものの、なぜかモヤモヤしていたし、
微妙に、喜べない自分がいた。