29歳と10ヶ月。あと2ヶ月で20代が終わる。
そんな2007年の暖冬。乳がんの告知を受けた。

今後どうなるのか、とても不安で仕方ない。
だから自分のため、これを読む誰かのために、私が日々思い
考えることを記録し、経験として綴っていきたい。

これからも穏やかに笑ってすごしたいから、少しずつでも前を向いて生きていきたい。


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023/その後、5ヶ月
手術日から、ちょうど今日で5ヶ月がたった。

抗がん剤、1種類目のゴールはもうすぐ。
あと、1回。
あと1回受ければ、あの吐き気を伴う憂鬱から、少し開放される。

だけど、次の抗がん剤も控えている。
副作用のない代わりに、髪の毛が抜けると言われているあれだ悲しい



だけど、それよりも最近、仕事をしていない事に対して
気持ちの不安定さが出てきている。
何もしていない不安。
やりたくても、できないもどかしさ。
お金や、将来に対しての言いようのない気持ち。
何もない一日が続くという苦痛に、何とかして立ち向かおうと
日々それを見ない振りをして過ごす。

そして、たまにどうしようもなく悲しく、
涙が止まらないときもある。


だけど人にはあまり見せたくない。
でも、その反対で、誰かに抱きしめてもらいたい。
再発や転移への恐怖を、どうしようもなく
ぬぐいきれず、生活をつづける事に、さらに苦痛を感じる。


どうしてこんな気持ちで、生活しなくちゃいけないんだろう。
どうして私だったんだろう。
これから、どう笑って生活していくんだろう。

そんな事ばかり、考えてしまう夜がある。

今までなんとなく平気だったのは、やっぱり自分が病気だということ、
受け入れてなかった気がする。
だからだろう、最近になって心が不安定になってきた

何かしていないと、考えてしまう。
考えてしまう事が、今一番、怖いことかもしれない。

もっと何かを、何かをしなくては。
そんなことに、心を拘束されている。


とても疲れた。
心と、体を引き離したい。
この考える頭を、どこかへ追いやってしまいたい。


だけど、これを受け入れないと、先へは進まない。
ずっとここには居たくないから、
私はいつか、やっぱり前を向いて、笑ってやる。
020/病理結果と今後の治療
手術から約2週間後、病理検査の結果が出た。

結果、私のがん細胞は、しこりから乳管を通り、
乳首に向けて拡がっている。ということだった。

少しだけ取り残したそうだが、
再手術というほどでもないらしい。
取り残しは、ちょっと気分が悪いバッドが、周りに散らばって
大変だということは無いらしい。

そして腋のリンパには、転移が無かった。

ただし、ホルモンや遺伝子の影響でもなく、
グレード3という、悪性度の高い腫瘍だったのだ。


年齢的にも体質的にも、ホルモン剤での治療ではなく、
抗がん剤という方法しかない。
先生に表を見せてもらった。
私が当てはまるのは「中間リスクの軽い方」らしい。

実際、色々言われても、ピンと来ないのが本音だ。
先生の言う通り、今後の再発を極力抑えられる方法。

それに従うしかない。


抗がん剤なんて、無縁だと思ってたけど、私が点滴をするんだ。

だけど、話をきけば、
ホルモン治療よりは、短期間で一気に叩くということだ。
今後、私は結婚して子どもも欲しい。
そうなると、一年は本当に辛い日々だとしても、
まだ先を考える希望を持てる。

そう考えたい。

体にどんな影響があるのか、本を読んだって、ネットを調べたって、
結局、個人差がある。
だから、身をもってやっていくしかない。

気持ちだけでは負けそうになるけど、
すべてをポジティブに考えたいのだ。

最終的に、結果が同じであれば、笑って過ごしたい。嬉しい
018/仕事復帰と退社



手術から2週間したころ、私は職場に復帰した。

腕の動きは不完全で、体力は落ちているものの、
職場ではPCに向かい、いつもの作業ができた。


会長や社長が、入れ替わりやってきて、
私の様子を見ては、あまりの普通さに驚いていた。


そして、今後どうしていくのか、
ということを話すため、打ち合わせ用のデスクに呼ばれた。
私は、治療をしながらも仕事を続けていきたいし、
先生も、そうしてくれて全然大丈夫です。といってました。
そう伝えた。


結果は、こうだった。


私たちの職業は、深夜残業や徹夜にもなる職業で、
体への負担も心配な上に、
休みがちになったりする人を、会社は雇っておけない。



病気と分かって、クビになったのだ。



怒り 怒りマーク怒りマーク怒りマーク怒りマーク怒りマーク怒りマーク

正直、はらわたが煮えかえるほどの怒りだった。

病気だからといって、どうしてクビにならなくちゃいけないんだ!!!
そういうところをフォローできるからこそ、会社なんじゃないか!?

悔しくて、悔しくて、涙が出そうになった。
泣きたいのをぐっと我慢して、仕事は続けたい。と訴えた。


だけど、いくら言ったって、代わりは沢山いるんだ。
使えないコマは捨てるだけ。

結局、最初から意見なんて聞く気もない。
答えは決まってるんだ。


楽しい同僚とやっと仲良くなったのに・・
せっかく、気の合う上司に巡り会えたのに・・
外部のスタッフとも、もっといい仕事したかったのに・・


自分の居た会社が最低だっということ。
だけど、一緒に働いた人は、みんなステキだったということ。
強く実感した。



復帰からたった3週間で、会社を辞めさせられた。




016/自由の身 縛られる心
その日、一週間ぶりに、シャワーを浴びた。
ろくに体も洗えなかったけど、最高に気持ちよかった。

脇についた管が取れただけで、
こんなにも開放的な気分になるんだ。。
ドレーンが取れた翌日、
病院の施設も、退出する事ができた。



しかし、街を歩けばその騒がしさに驚き、
駅のアナウンスの大きさに、耳をふさいだ。
いつもなら、普通にできていたことが、
病み上がりの体には、それぞれがとてつもなく負担になる。


乳がん経験者は、誰もが味わうだろう、腕の不自由さ。
取れるはずの物が、取れない。
持てるはずの物が、持ち上がらない。

普通の生活を再開させると、
思うように動けないもどかしさが、つきまとった。

イライラしていた。



施設を出てからの数日間は母の家で、お世話になり、
料理をしてもらったり、身の回りの色々をしてもらった。

だけど、自分の動かない体と、
弱ってしまっている精神力から、
迷惑をかけているんじゃないか、
こんなこと面倒くさいのではないか、

母に対しては、申し訳ないような、
自分には、自身を卑下してしまうような、
そんな気持ちばかり持っていた。
015/安静とシャンプー
3日間、頭を洗っていなかった。
こんなこと、初めてだ。悲しい・・頭がかゆい。。

水曜日に手術をして、金曜日の夜、
その部屋に、シャンプーをしてくれる人が来た。
ありえない強さで、ゴシゴシワシワシと頭を洗われたびっくり
豪快に笑うその女性、入院でおとなしくなった心に
パーっと明るい空気を持ってきてくれた。

聞けばこの人、かつら屋さんでもあるらしい。

・・いつかお世話になるのかな。。
営業も兼ねてるんだな。などと、ボーっと思っていた。


そんなスタートをした安静室での生活、
両親からは、嬉しい食事の差し入れがあったり、食事
友達は、漫画を持ってきてくれたりと、
穏やかにのんびり生活できた。


そんな状態ではあっても、腕はまだまだ不自由で、
貼り付けてるテープで脇の皮膚は、今までにない爛れを起こしていた。
包帯を巻いた胸も苦しく、
せきも止まらず、夜はいつも憂鬱だった。



そんな毎日を繰り返し、手術から6日目の朝、
ドレーンがとれた。拍手